ニュース
» 2014年8月21日 更新

ハイ・コミュニケーション私論 誰がためのSNSーーFacebookにおける転換、そして「友達」とは何か、それは誰のことか?

私がFacebookを使いはじめてから、気がつけば早いもので7年目となる。
誕生から約10年、今日、SNSは転換点にあるように実は感じている。今回はそれについて書いてみたい。

同サービスは日本国内でもユーザー数2,000万人を突破し、世界では10億人以上の登録ユーザーを擁するほどの一大帝国になった。
私が同サービスを始めたころは、海外在住の日本人ユーザーが多くそれらを含めて十数万人だったが、今日では国内最大手のSNSの一つとなった。

今回、SNSそれもFacebookにおける「友達」の意味、SNSの役割や転換点などについて考えてみた。
同サービスをテーマにしてブログを書くのは、この"通信"が開設される前(12年2月)の「「イノセント・スパマー」についてーーFacebookの友達リクエストの雑感」以来ということになり、実に2年半ぶりである。


■今そこにあるSNS

気がつけば友達が600人を超えていた(625人)。利用年月の長さに比べ、私は決して友達が多いとは思っていない。これは同じ年に始めたTwitterも、フォロワーが600人に満たないので同じような人数だ。
もっとも、その前に利用していたmixi(05〜07年)も、3年間でマイミクが15人だったので、そもそもソーシャルメディアでの友達が元々多くないというこもある。しかし、むやみに「友達」が増えることがないように心がけてきた。

Facebook上での友達を、どのように定義するかは各人様々だろう。
最近では、直接会った人だけに限定している人が増えているような印象を受ける。それというのも、ユーザーがこれほど増えさらにはアカウント乗っ取り、なりすましなどがいることなどから実名制という安心感が担保されず安心神話が完全に崩れ、同サービスは自分を晒しているのでむしろ危険だという印象が強くなっているせいかもしれない。

最近は友達が600人を超えたことでやはり多いと感じるようになり、一覧で確認すると「この人誰だっけな?」という人が思いのほかいるものだ。
ふと思うのだ。Facebookにおける友達とは、一体どのようなものだろう。こいうことを思ったのも、右上に「本日誕生日のお友達」が表示された時、誰のことだかすぐに思い出せなかったことが何回もあった。
一度お目にかかったあと何年も会ったことがなく、その後もフィードでも見かけない、コメントやメッセージのやりとりをしたこともない、「いいね!」したこともされたこともない。要するに、友達リクエストをもらい承認した以外、やりとりをしたことがないということだ。

とすると、こういう関係をはたして友達というのだろうか
この人数で右往左往している私であるが、数千人という友達のいる人たちはどうしているのだろうか

ところで、私に友達が少ないのにはそれなりの理由がある
私自身、様々な集まりなどに参加しても、とにかくできるだけ沢山の人たちと名刺交換するぞとは考えていない。縁があり、名刺交換してお話をする人がいれば、その人数にはこだわらないことにしている。そうした考え方をしていることもあり、SNS上でのいわゆる友達が少ないのだ。
もちろん、そうした場で可能な限り多くの人たちと名刺交換をすることで、思わぬ人や縁を広げたり増やすことになるだろうことも十分に理解はしている。
しかし、出会った人たち全員とお付き合いが不可能なこともまた事実である。

また、なんらかの公式ページをオープンすると、すぐに「いいね!しましょう」メールを送る(プッシュ型)のも、ついしてしまいがちなことである。
しかし、オープンしたばかりでほとんど何もコンテンツがない状態でアクセスしても、「いいね!」するもしないもないと思う。それというよりは、むしろそもそも「いいね!」のしようがないのだ。
コンテンツが揃う。そのコンテンツから、ページの方向性やコンセプトが伝わる状況になって、はじめて「いいね!」ができるはずだ。メッセージを受け取った人が、むしろ自らすすんで「いいね!」したくならなければ、残念なことだが単なる「義理いいね!」や「お付き合いいいね!」以上にはならないだろう。

現在では事情が違うだろうが、最初の頃は、ソーシャルメディアコンサルタントが「友達を増やしましょう」というアドバイスを素直に聞いてそのまま実践し、とにかく会う人すべてに友達リクエストを送る人たちもいただろうと思う。

もちろん、友達が多い方が意味のある人たちも存在する
例えば、講演(セミナー)や執筆活動、コンサルタントを生業としているような人は、できるだけ多くの人たちに知ってもらうこと(セルフブランディング)も必要だろうし、情報のリーチする数(友達)が沢山いる方がもちろん有利だろう。

しかし、そういった人たちやFacebookページを開設している組織・団体などと同じように、一般ユーザーまでもが同じように真似する必要はないというのが私の考え方である。
ソーシャルメディアという言葉なく、業界でもCGM(Consumer Generated Media)とかUGC(User Generated Content)と称している頃から私は利用しているし、ブログ、Tumblr、Twitter、FriedFeed、LinkedIn、Google+など様々なソーシャルメディアを活用してきたことから詳しいと思われているらしく、利用について個人的に相談を受けることも以前はよくあった。

そうした際には、公式ページを除けば「世間や周りの人たちがどのように使っているかに関わらず、自分のポリシー、自分のペースで利用すればよく、また義理やしがらみでの「いいね!」はしないこと、さらに公式ページへもお付き合いで仕方なくすることはやめましょう。友達も多ければいいというものではありません。数を競っているわけではないのですから。」と返事をしていた。

例えば、私よりずっと後にFacebookを開始した人で、「友達500人達成!」とか「友達1,000人突破しました!」などの投稿を見かけると、公式ページならいざ知らず、一般の個人ユーザーがそのように数を競ってどうするの、という大いなる疑問があった。
数を競う誘惑というのは確かにある。だが私はそれにこだわらないし、まわりの友達の数を気にしたり世間の使い方がどうなのかは気にしない。これは、自分に課していることであり、どのソーシャルメディアの使い始めからも一貫している。
それにソーシャルメディア(SNS)疲れしないためには、まわりに振り回されず自分軸を定めて利用するのが賢明である。

私自身はマーケティングコミュニケーションが専門なのだが、ソーシャルメディア専門家でもなくましてやコンサルタントでもないので、そうした方々とはかなり違う見解かもしれない。

先に紹介したブログ記事(「イノセント・スパマー」について)で、私は友達リクエストを下記のように3タイプに分けていることを紹介した。

(1)直接会ったこのとのある人
(2)直接会ったことはないが、共通の友人が多い人
(3)直接会ったこともなく、共通の友人が少ない人


上記から私が変更したことといえば、リスクエスト申請できる範囲を「友達の友達まで」に変更したことくらいである。すなわち(3)からのリクエスト申請ができないようにしたということである。

これは、見ず知らずの人からの無言リクエストをシャットアウトするためだ。そうした人たちは「フィード購読する」(現:フォローする)を利用すればよいだろうということもある。
さらには、ユーザーが大規模になったことで、悪意あるなりすましやアカウント乗っ取りなどが増え、実名制の信頼性が薄れたことも要因としては大きい。


■無言リクエスト申請をもらう側の困惑

利用時からずっとFacebookでも変わらないことがある。それは、今日でも依然として「無言友達リクエスト」がなくならないことである。

一度会った(名刺交換した)だけで、ひょっとして永遠に再び会うことがない、あるいはどこかで偶然にばったりと再会する人なのかもしれない。これについては、なんともとも言えないし正直わからない。しかし、つながりやコミュニケーションがソーシャルメディア、それもSNSに関してはそれが特に大きなファクターだとすれば、こうした人たちをたとえネット上のつながりとはいえ、はたして「友達」とよぶべきなのだろうかという疑問は拭えない。

Facebook上でつながっていても、まったくコミュニケーションのない人もいるし、ニュースフィード上でコミュニケーションした人も限られている。
例えば、3年ほど前にどこかの集まりで面識を得て名刺交換し、その後一度も会う機会もなく、ニュースフィードでも見かけないし、当然「いいね!」をしたこともないしされたこともないうえに、どの集まりでお目にかかった人なのかも申し訳ないのだが記憶の彼方の人たちがいる。

多分、誰でもが経験があるだろう。ある一時期よく会って親しくしていた友人でも、お互いの仕事や環境の変化あるいは様々な理由から、いまではまったく疎遠になっているさらには音信不通になってしまっている"友達"というものがいるだろうと思う。
そうした人付き合いについては、前回「セレンディピティ、キャリアのピボット、またはレイヤーとしての人付き合いについて考えてみた」でも語ったので、興味のある方はあわせてご笑覧願えればと思う。

また、実際にお目にかかった人でつながっていても、リクエスト時にメッセージがないとどこで面識を得たのか思い出せない人もいる。例え、実際に面識があり名刺交換したとしても、友達リクエストを申請する時、例えば「昨晩、○○でお目にかかりました○○です。」などリクエストと一緒に簡単に一言書き添えておくだけで、後になってもどのような集まりで縁を得たのかすぐにわかるが、それもないとないとなると本当にどこで縁を得たのかわからない。
こういうとき、友達リクエストだけの無言メッセージの弊害を感じる
しかし、直接会ったことがある人でも、友達リクエスト申請時にきちんとメッセージが添えてある人は、10人のうち2人ほどである。

私は、直接会ったことがない人でもリクエストは基本的に受け付ける方針だ。それは、面識がなくても全国の誰とでも繋がられるし、世界中の人とだって縁を得ることを可能にしているのがSNSの利点でもあるからだ。

面識がなくとも、自己紹介があり、こういう理由でリクエストを送ったとメッセージを受け取ったことは幾度かある。
しかし、無言リクエストが届くと、誰なのかわからないし、共通の友人を確認しそこから推測することもできる。しかし、なぜ私にリクエストを送ったのか、何が関心を引いたのかも不明だ。

もし、送った人が逆の立場、リクエストを受け取る側であったならと考えてみればわかるだろうといつも感じる。

これは相互承認が必要なLinkedInでも同様な傾向がある。TwitterやGoogle+などのように、相互承認の必要のないサービスであれば話しは別である。
さらに、そうした人たちの中で、先にFacebookでつながっている場合、特にメッセージが添えてなくても特には問題とはならないが、その場合でも、メッセージをきちんと添えてくる人もちろんいる。


■転換点(岐路)に立つSNS

ソーシャルメディアは、今日では特別な人たちが利用するサービス(プラットフォーム)ではなくなった。しかし、ここへ来て少し役割や機能が変化しつつあるようだ。そうしたことについてReadWrite Japan「これからのソーシャルは「フレンド」から「フォロー」の時代へ」が示唆している。また、クロサカタツヤの記事「SNSの終わり」が話題だ。

後者の記事にある「友達リクエストの時代はもう終わったのだ。」というのは性急な結論だろうと私自身は思うが、ソーシャルメディア活用における大きな変化だろう
私は確認できていないのだが、FoursquareやLinkedInが「フォロー」ボタンを追加したそうだ。TwitterやGoogle+などと同様、これをもっと早く導入して欲しかった。
今後、「フォロー」が一般的になって定着すれば、むやみにつながるための友達リクエストが減ってくれるだろうから歓迎したい。速やかにこの「フォロー」の追い風が吹いて欲しいと思うのは、はたして私だけだろうか?

そうしたとき、先月帰国時にもお会いした松村太郎さんの実にタイムリーな米国事情レポート(「Facebook卒業します」の背景にあるもの)を拝見した。
それは以下のような書き出しで始まっている。

「そんなFacebookの筆者のニュースフィードで、最近「Facebookを卒業します」という投稿とともに更新が途絶えるユーザーが目に付くようになった。このサービスの生い立ちからして、むしろ学校を卒業してから使うのがFacebookだったはずが、「卒業する」とは一体どういうことなのだろうか。
筆者の周辺で、全く別のコミュニティに属する人々が、同時に同じような投稿と行動を起こしていることが気になった。そこで取材を進め、考察を行った。背景にあるのは、Facebookとのつきあい方の多様化や、つながりの変化が影響しているようだ。」

松村さんが直接いくつかのインタビューや取材を通じて浮かび上がってきたことについて記事にしている。
興味深かったのは、ソーシャルメディア、特にSNSが疲れを起こす要因にバズ系メディアの台頭による「ニュースフィードのCNN化」と名付けていることである。
これは、いつも投稿や位置情報で誰かに見られているという、SNS独自のつながりっぱなし状態が産み出す疲労感とは別の事態なのだ。確かに、同じ情報を繰り返し何度もくどく接する(見せられる)のは、またかとうんざりして疲れを感じる。

最近の例で言えば、国内でも小保方の一連の関連記事、泣きわめいて議員辞任に追い込まれた県議(名前忘れた)などはその典型例だろう。特に後者の場合、うんざりするほど流れてきたので、非表示操作を何度繰り返したことか。
こうした情報は、私が投稿しなくても誰かが必ず投稿するだろう記事で、芸能人のゴシップと等価なネタでしかない。

ところで、今月6日、NTTアドは、インターネット調査「今どきのシェアネタ事情」に関する結果を発表した。これは世代によりソーシャルメディア(SNS)における情報共有の実態を把握する目的で、全国10~59歳男女924名、LINE、Facebook、Twitterのいずれかのソーシャルメディアを利用している人を対象に調査した。

それによると、各世代では同じソーシャルメディア(SNS)を利用していても、各々違う理由や事情で利用していることが明瞭にわかる。

02年にFriendsterがSNSの嚆矢となり、04年に米国ではFacebook、日本ではmixiが創業した。誕生から約10年、SNSも今日では当たり前で特別なものではなくなった。特に若年層に多いLINEをはじめ、他のソーシャルメディアともあわせ、既にソーシャルメディアネイティブ世代ともいうべき人たちが台頭しつつある。

私は、本通信において、かつて自分も関わったことのある3D仮想世界の3Diが解散したニュースに接し、今日、コミュニケーション体験の変容・変態=Communication Metamorphosesについて語ったのだが、テクノロジーの進展はかつてのディスプレイ広告からデジタル・サイネージへと進化し、今後ウエラブルデバイスの革新的な発展は、デジタル・サイネージからさらにDigital Ambientへとシフトしていくだろう。

私の尊敬するブロガー「風観羽」の「それでも希望はある/佐々木俊尚氏の新著を読んで」も、別の意味でそうした変化(転換点)を感じ取っている記事だと思う。
「弱いつながり」が持つ意義や価値も理解できる。誰でも情報発信していて、それら情報をどのように収集(あるいはキュレーション)するかでSNSへのコミット仕方も各々違ってくるだろう。
もとより、コミュニケーションやエンゲージメントすることに意味があるとは思うが、お互いが「ただ数のうち」になってしまっているとしたら、それはとても残念なことだろう。


■唯一不変なこと、それは「変化すること」だけ

Googleでは、検索アルゴリズム変更を何度も実施してきた。

ついさきごろ、「パンダアップデート」といわれるアップデートが行われた。
これは、内容が薄いコンテンツが検索上位に表示されないようにし、質の高いコンテンツに関連するキーワードで適切に上位に表示されるようにするため、コンテンツの質評価に関連する検索アルゴリズムの更新を指した変更である。
それによると、被リンクが多いページよりも、特定分野の専門家が書いたページのほうが質(価値)が高いと考え、検索で上位に表示するということだ。 これで、ますますコンテンツの質、それもオリジナリティの重要度が一層高まった。

また、この4月、東大発スタートアップのpopInは、新たな指標「READ」を発表した。
「READ」とは、オンラインメディアのコンテンツの読了状況を図るための指標だ。導入したメディアの本文領域を自動で解析し、本文領域での滞在時間や、本文のどの位置までを読んだのかという読了率、サイトからの離脱率を計測できるようになる。いずれ、これが業界の標準指標となれば、従来のPV至上主義はいっぺんに覆るだろう。

今後、ほかにも新たな指標が登場するだろう。長らく指標だったPVやUUも、いずれはそうした新しい指標に取って代わられるだろう、変化の早くて激しいテクノロジーの世界では、今後もそうしたことがいくらでも起きるに違いない。

あまりにも有名なダーウィンの「最も強い者が生き残るのでもなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることができるのは、変化できる者である。」は、テクノロジー社会に生活している我々についても当てはまるような言葉だ。

これまでのソーシャルメディア活用においては、いかに知ってもらうかが課題だったが、ソーシャルメディアが日常的なコミュニケーションやメディアになりつつある社会では、プライバシー問題も含めて"個人"についてはむしろいかに知られない(隠す)かが今後の課題となってくるだろう。

今後もソーシャルメディアは、多様化しながら進化していくだろう。それは思わぬ進展をするかもしれない。
Facebookは、はたして10年後にも残っているか?
これはとても興味深いテーマだ。これら含めたSNSの課題については、別の機会があればまた書いてみたい。


(関連リンク)
▼これからのソーシャルは「フレンド」から「フォロー」の時代へ
http://readwrite.jp/archives/11646

▼SNSの終わり
http://japan.cnet.com/blog/kurosaka/2014/08/07/entry_30022704/

▼「Facebook卒業します」の背景にあるもの
http://toyokeizai.net/articles/-/44534

▼SNSで業界が一変、米新興メディアの拡散力
http://toyokeizai.net/articles/-/42630

▼今どきのシェアネタ事情
http://www.ntt-ad.co.jp/research_publication/publication/sakigoto/sakigoto_32.html

▼SNS満足度は若干改善も依然低い、FacebookとLinkedInが最下位
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/news/14/072300174/

▼それでも希望はある/佐々木俊尚氏の新著を読んで
http://d.hatena.ne.jp/ta26/20140809

【おすすめブログ】
●誰がためにブログは書く(1)ーーオーガニックブログにこだわる理由
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1653306.html

●「イノセント・スパマー」についてーーFacebookの友達リクエストの雑感
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1635276.html

●3Diの解散によせてーーCommunication Metamorphosesという視点で考えた
http://blog.marketing.itmedia.co.jp/macume/entry/350.html

●ブログの未来とはー「ブロガーサミット2013」に参加して思う
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1812995.html

●「ソーシャルメディアサミット 2012」に参加して(1)ーーソーシャルメディアバブルの向こう側
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1663165.html

●「ソーシャルメディアサミット 2012」に参加して(2)ーーソーシャルメディアの測り方
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1664104.html

●「ソーシャルメディアサミット 2012」に参加して(3)ーーソーシャルメディアのこれから
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1664639.html

Copyright© 2017 ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

Loading

プロフィール

梅下武彦

梅下武彦

コミュニケーションアーキテクト兼ブロガー。20世紀は広告代理店の“傭兵マーケッター”、21世紀はベンチャー企業のマーケティング責任者を歴任。現在、マーケティングコミュニケーション領域の戦略立案や設計、アドバイザー・メンターとして活動している。また、様々なソーシャルメディアで活動するSocialmediactivisとして、現在をDigital Ambient Society、Communication Metamorphosesと定義し、多様に激変する社会現象・事象、時代情況を独自のマーケティング視点で語るコラムを執筆中。 ソーシャルテクノロジー社会におけるMarketing DisruptionとCommunication Ecosystemの関係を探求している。

ハイ・コミュニケーション私論のバックナンバー

カテゴリ

「マーケター通信」購読一覧