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» 2014年9月16日 更新

ハイ・コミュニケーション私論 【書評】セレンディピティや多様性が失われ、「類は友を呼ぶ」だけの世界になってしまうのか?ーー『閉じこもるインターネット』

今回、私も運営をサポートしている読書会 10 over 9 reading club のセッション読書会で、前から気になっていたが未読だったイーライ・パリサー著『閉じこもるインターネット』(早川書房)を、今更ながら読んだ。
「フィルターバブル」という言葉の元となった著書だ。

この図書は、前回(7/19)のレクチャー読書会で、SmartNews社の藤村厚夫さんから推奨していただいた図書30冊の中から、会で選定した4冊の一つだ。この会は、レクチャー読書会とセッション読書会で構成されている点がユニークで唯一無二なのだ。

情報弱者という言葉ある。
デジタル技術や通信インフラが整備され、PC、スマートフォン、その他様々なデジタルデバイス、インターネットを活用できる今日、そうしたものを活用できる人たちと活用できない人たちの格差が生じている状態で、諸事情からそうした機器を活用できない後者の人々をさす言葉だ。

しかし、数年後、情報弱者に対する考え方や定義は、以下のように変わるかもしれない。
それは、著者のイーライ・パリサー的に言えば、市井の無名なものから情報を収奪し、有力者への情報力の再配分のことを指すようになるだろう


■希望と楽観論の趨勢

インターネットが一般の人が利用できるようになって約20年、ソーシャルメディアが誕生して約10年が過ぎた。

90年代初頭、ティム・バーナーズ=リーがWorld Wide Webを発明した時、オープン性と信頼性、共有と対話、善意と透明性への進化過程だと捉えられ、テクノジーがもたらす情報化とコミュニケーション社会への期待と希望に満ちあふれていた

将来、情報だけではなく、人々、地域、国までも超えて世界中で対話ができるようになることで、新しい文化の創造や担い手が誕生し、相互依存と世界平和にも資するだろうことが大いに期待された。

2000年代になり、ブログ、SNSなどが登場し、特に2000年代半ば以降、Web2.0と称される社会現象が巻き起こり、ほかの各種ソーシャルメディアの登場もあって、そうした楽観論はさらに加速していった。

こうした希望や期待は、国内では11年の東日本大震災の時にTwitterなどのソーシャルメディアが注目され、世界ではいわゆる「アラブの春」に代表される社会変革への大きな胎動やうねりを産み出したツールとしてもてはやされたのだ。

しかし、今日では、それらはすっかりと影を潜め、代わって懐疑的な意見が噴出しむしろ危険性と懸念が指摘されている。

資本主義が国民経済の繁栄と豊かさ、裕福さ約束すると信じられていたが、逆に格差と貧困をもたらしているのと似たような状況だ。
そうした悲観論が台頭してきた要因の一つに、パーソナライゼーションがある。


■警鐘をならすときーー悲観論の台頭

今日の世界はいたるところでナショナリズムが台頭し、地域紛争や内紛、内戦が勃発して混乱を深めている。中東や欧米に限らず、アフリカでもどこでも、世界中至るとこころで、異質なものを排除し、同じ民族(部族)、同じ宗教、同じ言語、同じ価値観だけのコミュニティ(共同体)にしようとする勢力が台頭しつつある
しかし、こうした状況ですら、ジャック・アタリ的にいえば「超紛争」社会の序章にすぎない。

現在のインターネットも安全なものではなくなった。
むしろ現実社会と同様に危険に満ちている。優越感、悪意、憎悪、不安、不平不満など、様々な人々のルサンチマン(うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ)はネット上に溢れている。国内でもヘイトスピーチやネット右翼など、怨嗟の噴出が止むことはない。

また、様々なウィルス、サイバーテロ、不心得者による個人情報の流出、なりすましや個人情報を盗もうとする悪意ある人やサイトなどに脅かされている。それは、個人情報が金になるからだ。

この本の冒頭(「はじめに」)で、著者は以下のように述べている。

「他人の視点から物事を見られなければ民主主義は成立しないというのに、我々は泡に囲まれ、自分の周囲しか見えなくなりつつある。事実が共有されなければ民主主義は成立しないというにも、異なる平行世界が一人ひとりに提示されるようになりつつある。」

それがフィルターバブルであり、そうした危険な要因にパーソナライゼーションがあると指摘している。

これは、ユーザーひとり一人の利用(行動)履歴や好みに応じ、その人に最適化された情報を届けることを目的にしている。そのためにはユーザー各々の情報を収拾する必要があり、そのユーザー情報を元にしてその特性に合うとアルゴリズムが判断した情報のみを表示し、無関係あるいは関連が薄いと判断された情報を勝手に非表示にすることで、そうした情報からユーザーを遮断して隔離状態におくことだ

Googleのパーソナライゼーションは、09年に検索エンジン、10年からGoogle Newsで提供している。また、最大手SNSのFacebookでも同様の施策を行っているし、その他のネット系プラットフォームやサービスでもそれらに続けとばかりに推進している。
情報洪水の玉成混交の中から、ユーザーとってより早く最適な情報を提供するはずの技術が、いつの間にか「すべては広告のために」が標語となって利用されているのだ。

多様性を拒否し、同質性を求めたり自分中心主義になってしまう。また、いわゆる「空気を読む」状況が作り出されてしまう。
すでに、個人主義が最も顕著な米国社会ですら、同調圧力が進行しつつあり、なかなか異なる意見を主張することが難しい社会になりつつあるとイーライは語る

近い将来、こうした事態が改善されないと、インターネットの情報を通じ、監視、情報収集が行われ、1949年に刊行された『1984年』でジョージ・オーウェルが描いた、全体主義的で情報統制や管理主義的な思想や傾向の社会が到来するかもしれない。

これは、脳のシナプスが無意識的にこのフィルターバブルによって形成されてしまい、見たいことだけを見るあるいは見たいことしか見ない。さらには、見たことだけを見せるような情報操作が行われても、そうとは気がつかない脳になってしまうかもしれない
それは長い目に見ると恐ろしいことだ。

本来は、ユーザーに効率的でより高い精度で情報を提供し、利便性を高めるはずの技術で、ユーザーはその恩恵にあずかるはずが、皮肉にもむしろ多様性を削ぎ、異質なものを排除し、気づきや発見なども得られず同質的な情報だけで編成されている偏向情報を届けることに荷担している。

「地獄へ至る道は善意で敷き詰められている」という有名な格言がある。フィルターバブルはまさにそうしたもののように感じる。

ティム・バーナーズ=リーも、最近のこうした状況について警鐘を鳴らし、「インターネット・ユーザーのための権利章典」の必要性を訴えている


■「閉じこもるテレビ」で経験済み?

フィルターバブルが、将来どのような影響や状況、結果をもたらすことになるのかは不明だが、しかし、こうしたことは何もインターネットに限った話ではない。実は既に我々はテレビで経験している

テレビで、例えば、朝のワイドショーを見て、午後のワイドショーを見て、夕方の民放のニュースもどきのワイドショー番組だけを見ているような生活に何十年も慣れていると、芸常人のゴシップやグルメ情報には敏感に反応しても、複雑でわかりにくいが実は大事な政治や経済の情報が入ってこなくなる。あるいは見えなくなる

また、近所の人々との井戸端会議でそうした話題だけを話しているご近所づきあい(友達)しかしていないと、情報感度がそのように形成される。

我々日本人は、グローバル視点に乏しいといわれるが、それも当然なのだ。
小さなころから、そうした視点でしか報道しないようなメディアに、無意識に接しているのだから

日本では、まず国内全国のニュース、ローカルニュースの順で番組が構成されている。世界での大きな出来事は、日本人が巻き込まれていれば取り上げられるが、そうでなければめったに報道することはない。

これは新聞も同様で、国際面はだいたい4ページ以降で、その間に全面広告などあればひどい場合は6ページだったりすもする。
つまり一面から2〜3ページまでは仮に目を通しても、国際面などはすっ飛ばしてスポーツや社会面、テレビ欄しか読まない人には、そうした世界での大きな重大な出来事の情報に接しなければ、実は私たちに影響を与えるかもしれないほどのそれら存在しないも同じだ

NHK-BSで放送していた『ワールドWave』(現『国際報道』)がある。
これは、世界各国のニュース番組をアグリゲーションしたような内容だった。例えば、ドイツのニュース番組でも、トップはスペインでの大きな出来事だったり、あるいは中東情勢だったりする。
特にヨーロッパの場合、EUなので同じ欧州内でのニュースには無関心でいられないし他人事ではではない。

オーストラリアのニュース番組では、トップに中国のニュースに取り上げていた。同国との経済的なつながりが強いこともさることながら、その趨勢が今後の世界へ与える政治・外交上の影響について報道していた。

つまり、外では、まず世界の大きな出来事を報道し、それから各国国内のトップニュースからローカルニュースという風に構成されていることがわかる
皮肉な言い方をすれば、大げさではなく脳のシナプス自体が無意識的にグローバル視点を養うように形成されているのだ。

現在であれば、スコットランドの独立をめぐる国民投票だろう。
欧州では、スペインのカタルーニャやバスクなどの独立運動は有名だし、ベルギーをはじめ17カ国でそうした問題を抱えているEU諸国にとっては「対岸の火事」ではない
北米大陸でもカナダのケベック州などをの問題を抱えている。

一方、アジアでは、古くはインドのカシミールの分離独立、チベットの独立、最近ではウイグル族(自治区)、そして台湾と中国だけでもこれだけ独立や内紛の火種や問題を抱えている。

こうした問題は、英国や欧州だけの問題はないし、国際社会におけ秩序、世界経済に与える影響などもあり、世界がスコットランド独立運動を固唾を呑んで成り行きを見守っている。

スコットランド独立が果たされれば、北アイルランド、ウェールズも続く可能性も否定できないしそれだけではない。
他のEU諸国にも飛び火するだろうし、そうなれば国際社会の秩序にも重大な影響をもたらすだろう、また、政治・外交・安全保障など全てに関わってくるだろう。そういうことがわかっているからこそ、世界中がトップで取り上げているのだ。

また、独立後、万が一経済がうまくいかなくて、それが火種となって社会的な混乱から、反対派と賛成派との間での内紛に発展しないと、誰が確証をもって言えるのか。
希望の独立が社会的な混乱をもたらした例は、「アラブの春」の国々のその後を見れば容易にわかろうというもの。

そうなれば、国際社会は政治的にも経済的にも大混乱に陥るだろう。しかし、そうした情報に接することなく過ごしていれば、そした状況になって初めて日本への影響(特に経済)と重大さが視野に入ってきて自覚することになる人だろう。

逆に、海外でディアでは日本のついての報道はほとんどない
世界から見れば、国際秩序(外交や安全保障など)、国際経済に影響を与えるようなニュースは、日本から起こるようなことはほとんどないし、ニュース的には「ジャパンパッシング」しても世界の趨勢から考えればどうということもないのが悲しい現実だ

つまり、日本は国際社会の秩序という観点から考えれは、悲しいことなのだが、今のところ取り上げるほどの価値もない国だといということなのだ。


■私たちが支払う2つの代償

この著書は、パーソナライズドフィルター(=フィルターバブル)を利用することで、私たちが払う対価が2つあることを教える。

1つは個人的なもの(個人情報、自己主張など)、もうひとつは文化的なもの(民主主義、多様性など)である。

GoogleもFacebookも、当初は「広告はクールじゃない」とバカにしていたが、今日では彼らが最も利益を上げているのは広告である。
パーソナライゼーションにより、ユーザーの興味や関心を把握できれば、企業としてはピンポイントで最適な広告を提供できる。
精度の高い情報であればあるほど、企業へ提供できる情報はとして売れて、パーソナライゼーションしている企業へ収益をもたらす。

それでも、人はインターネットやソーシャルメディアを使うことを止めないだろう。

前回のブログ記事「誰がためのSNSーーFacebookにおける転換、そして「友達」とは何か、それは誰のことか?」でも次のように書いた。

「これまでのソーシャルメディア活用においては、いかに知ってもらうかが課題だったが、ソーシャルメディアが日常的なコミュニケーションやメディアになりつつある社会では、プライバシー問題も含めて"個人"については、むしろいかに知られない(隠す)かが今後の課題となってくるだろう。」

どうやらそうした事態が進行しつつあると感じているのは、はたして私だけだろうか。

最後に、社会学者シグムント・バウマンの『コミュニティ〜安全と自由の戦場』(筑摩書房)の「序章」以下の文章を上げておく。
この原著は2001年に刊行(邦訳は07年)されたものであり、インターネットのコミュニティについて語ったものではないが、下記の言葉はそれでもインターネット上でも十分に首肯しうると思う。

「「コミュニティの一員である」という特権には、支払うべき対価がある。コミュニティが無想にとどまっている限りは、対価は害にはならないか、目につくこともない。対価は自由という通貨で支払われる。この通貨は、「自立性」「自己主張の権利」「自然に振る舞う権利」など、種々の表現で呼ぶことができる。どのような選択をするにせよ、得るものもあれば、失うものもある。コミュニティを失うことは安心を失うことを意味する。コミュニティを得ることはーーたまたまそんことがあればだがーー即座に自由を失うことを意味する。安心と自由は、ともに等しく貴重かつ熱望される価値であ。それらは、よかれ悪しかれバランスを保っているが、両者の間で調和が十分にに保たれて、軋轢が生じないことはめったにない。」


(関連リンク)
▼パーソナライゼーションの光と影(藤村厚夫さんのブログ1)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35152

▼「メディア価値」の希薄化にどう備えるか? 破壊的広告テクノロジーの登場がもたらすもの(藤村厚夫さんのブログ2)
http://mediadisruption.net/2012/06/

▼ニュース編集者とはだれか/ポスト"フィルターバブル"議論を読む(藤村厚夫さんのブログ3)
http://mediadisruption.net/2014/09/15/post-filterbubble/

▼「閉じこもるインターネット」に対するセレンディピティの有効性
http://wirelesswire.jp/yomoyomo/201309121730.html

▼ウェブ誕生から25年 - ティム・バーナーズ・リー氏:「ネット・ユーザーの『権利章典』を」
http://wirelesswire.jp/Watching_World/201403131708.html

▼ティム・バーナーズ-リー氏:「グーグルやフェイスブックから自分のデータを取り戻そう」
http://wirelesswire.jp/Watching_World/201204191002.html

▼「閉ざされたインターネット」Upworthy・CEOが語る、情報のフィルタリングの危険性
http://u-note.me/note/47499326

▼視野と経験を狭める「フィルターバブル」を打ち破れ
http://www.dhbr.net/articles/-/2359

▼多様性が失われるソーシャルメディア、「沈黙のスパイラル」へ
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakazenichiro/20140828-00038649/

▼インターネットが世界をつなげるほど私たちの社会は脆くなる
http://diamond.jp/articles/-/18462

▼ソーシャルメディアの現状から見えてくる危険なシナリオ
http://d.hatena.ne.jp/ta26/20140907

▼10 over 9 reading club(読書会のサイト)
http://10over9-readingclub.jp/


<おすすめブログ>
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・【書評】現代の「パンドラの箱」─『21世紀の歴史―未来の人類から見た世界』
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・【書評】ビジネス書という「無間地獄」に思う
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・誰がためのSNSーーFacebookにおける転換、そして「友達」とは何か、それは誰のことか?
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梅下武彦

梅下武彦

コミュニケーションアーキテクト兼ブロガー。20世紀は広告代理店の“傭兵マーケッター”、21世紀はベンチャー企業のマーケティング責任者を歴任。現在、マーケティングコミュニケーション領域の戦略立案や設計、アドバイザー・メンターとして活動している。また、様々なソーシャルメディアで活動するSocialmediactivisとして、現在をDigital Ambient Society、Communication Metamorphosesと定義し、そうした多様な社会現象・事象、時代情況を独自のマーケティング視点で語るコラムを執筆中。 ソーシャルテクノロジー社会、Marketing DisruptionとCommunication Ecosystemの関係を探求している。

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